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9.72017
憎しみの向こう側
ヴァイオリンレッスンの生徒さんで
小学校低学年の頃出会ってからのお付き合いで、現在中学3年生の方がいます。
その方が中学校のオーケストラ部に入ってからは、レッスンで触れる内容も広がってきました。
ある時
「オーケストラの指揮者や先生にマルもらうことを目的にすると、
自分を見失ってどう弾いたらいいかわからなくなるよ。
いつでも自分が自分の中心にいることは大切だよ。」
と言いました。
すると「先生が、マルをくれたことは一度もないよね」と笑われました。
そうだったっの??〜
私は、子供の頃から母の厳格なしつけで、
母に褒められたい、母を喜ばせたいがために長い間あれこれ迷走していて、
母自身もまた褒められたことのない子供時代の痛みを抱えながら、
私を育ててくれたのですが、
いつの間にか
私が、人に褒められることを目的に行動する虚しさを存分に体験したことは、
私の、人に何を目的にするのが大切かを伝える様々なやり方を育くんでいたのです。
これは母からの、そして母の家系からのギフトだなと思ったのです。
子供が親の役割の人の元から巣立つ時期、親の役割の人が憎まれ役になることがあります。
自分の憎まれ役になることを受け入れてくれた人達への感謝と愛は、
自分の憎しみの向こう側を見ることができる時に、初めて触れることができます。
それは、本当の自分自身に触れることと言ってもいいかもしれません。
だから自分の憎しみを恐れないで。
憎しみのその先を見る勇気と信頼は、自分自身の真実に触れる安らぎと喜びにつながります。
その後一緒に楽しく笑い話せるようになるのだから、自分の世界を幸せにする営みは嬉しいものです。